應其

高野應其(たかのおうご)のエッセイと小説。

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酒の肴になる男(1)

              酒の肴になる男(1)

 男が現役のときもリタイアした後も、同じ釜のめしを食った連中と雑談したり一杯飲んで旧懐談するとき、当人がその場に居るいないに拘わらず、なにかな話題になる人物がいるものだ。
  
 Sさんのこと
もうずいぶん前のことである。
勤めていた職場にSさんが営業要員として中途入社してきた。年令36才、身長165cm位、中肉中背、目がやや奥にあり(彫の深い?)取り立てて男前とは言えないが、笑うと何とも親しみのこもった愛嬌のある表情となる。

 大阪の何代も続いた富裕な商家の三男に生まれ、昔風にいえば、ええしのコボンさんか、 関西のK大経済学部卒。
性温良、やさしく親切、人がやりたがらない嫌なことでも、率先してやる男である。いつも陽気で淡白、酒は飲めないタイプ、ビ-ル小びん1本で真っ赤になる。 しかし皆と結構酒席を付き合っていた。 
そして酒は弱いがアレには強い、といつも威張っていた。
落語に出てくる若旦那そのものである。
ここまでは愛すべき男、Sさん。

ところがこの男、困ったことに何事もアバウトで、全てについて安請け合いする癖がある。 そして、飽きっぽく移り気で持続力がない。要するに最終責任を持たせられない男であった。過去6回も転職を繰り返している。
   
大学を出て最初関西系の総合商社へ入ったが2年で辞め以後、会計事務所.旅行会社.百貨店.ス-パ-の仕入部.レストランの副支配人等、長くて2年会計事務所などは3ヶ月で辞めている。それでも親の光か、結構良い職場の良いポストにつくが長続きしない。
支店長から「過去の職歴と退社事由などからして、あきっぽい性格のようだから、十分注意して指導するよう」指示が出ていたので、できるだけ帯同訪問したり訪問日誌のチエックとフォロ-をしていた。

営業の新規開拓班に回されたが、予想に反し本人は連日ヤル気をだし真面目に回っていた。3ヶ月目に中古車販売業(いまでは上場企業)またその紹介で自動車修理業2社と5ヶ月間に法人個人で20数件の新規先を獲得。 
そうなると本人も鼻息も荒く意欲的であるし、管理者としてもひとまず安心と。それでも目配りだけは十分していたが・・

ところが、そろそろ6ヶ月過ぎたころ取引先から苦情や不満.文句が出てきた。

何日に約束したのに来訪しないとか、当座決済の入金を取りに来ないとか。
しかし大変困ったのは、
「融資約束したのに実行してくれない」
得意先の死命を左右しかねぬのまで出る始末。本人と取引先双方の話を総合すると「はいはい判りました」 余り簡単な返事に、却って心配で再度念押しすると、
「お宅は私が責任を持つから大丈夫」と調子よく安請合いするらしい。
こんなトラブルが頻発しだした。これは困る、大変困るのだ。
上司同僚たちと相談の結果、営業員のまま車の運転専担がよかろう、と衆議一決。

今までは1台の車を分け乗りしていたが、彼に運転の専担者になってもらうと助かる。 時間をかけて説得するつもりだったが本人は別に不満でなく、 
「何でもやります」と、これまた意欲的、大助かり。 とにかく淡白である。 

当時、有料道路.高速道が少なく車の渋滞がひどい上、この店のテリトリ-が大変広く大阪東部一円(市内.守口.門真.寝屋川.枚方等)であった。 
幸い、彼は大阪生まれで土地カンがあり、裏道もよく知っていたので大変重宝した。
ところがある日、物件調査他でO君 「橋本へ」といったあと、連日の疲れから後部座席に潜り込んで、すぐ寝入ってしまった。

暫く経って目を覚した彼が、風景の違うのに気がついた。 

「ここどこや」

「まだ河内長野ですわ、ゆっくり寝てて下さい」

行き先は枚方の隣、京都の八幡市橋本を、和歌山県橋本と間違ったらしい。
それでも、
「せっかく来たんやから、このへんで遊んで帰りまへんか、夜ならエエとこ知ってまっせェ」
午前10時すぎにこんな調子である。
兎に角、早とちりが多かった。 

また、まだ阪奈道路が有料であった頃、奈良.学園前へ調査にいった帰り、彼は生駒の坂から未鋪装の脇道へ入り、雨が降れば谷川に変わるような山道を昇り下りする。
 
「なんでこんな路行くんや」
「まアまかせて下さい」 
 
 近道だと思った後部座席の二人は黙っていたが、結果 いつもの3倍ほどの時間をかけて、やっと降りてきた。 後部座席の二人は身体中バラバラになる思いであった。

大阪入口料金所の建物を左に見て、彼はほっとしたように、

「帰りの料金助かった」と言う。 

「ん?」

「いまの道を通ると料金いりまへんのや、覚えといたら役に立ちまっせェ」

「なに言うとる、奈良の入口で払うたやないか、出口では取るかいな アホ!」

「む? あっそうかア!」 


Sさんとはこんな男である。




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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

海外旅行3

  オ-ロラを観に行こう

この一両年、オ-ロラの当り年だと聞いて1月下旬、女房殿とカナダのオ-ロラ観測(--出るか出ないか分らないから観賞とは言わないらしい--)ツア-に参加した。

旅行会社に申し込むと、出発の1ヶ月前にツア-についてのオリエンティ-ションがあるという。いつも参加している一般ツア-と違い、極寒の世界を旅するだけあって「まァご大層なこと」と思ったが聞きにいった。

なんと当日100人ぐらい収容できる会場は満杯。勿論それぞれ出発日が異なるし、旅行会社1社だけでこれだけ集る。全国にエ-ジェントが3万4千社あるらしいから、これらが募集する日本からのツア-客は大変な数になるだろう。この旅行社だけでほぼ毎日出発しているが、それでも1月~4月まで既にほぼ満杯らしい。いやはやオ-ロラブ-ムは聞きしに勝る。

それはさておき、集ったのはほとんどが女性、40~50歳台が圧倒的に多いが、若い女性も結構いる。それに引き換え、男はなんとたったの5人、それも20才台が1人、あとは60才以上か? 

さて主催者の説明が始った。
観測場所は3コ-スあり、フィンランド行きと、カナダ.バンク-バ-経由して三方向に別れるコ-ス、ビデオ観賞のあと諸々の注意を受けた。
「いずれも零下60度になる場合もある。いま皆が使っているカメラ.ビデオの類はダメ、電池の消耗と結露でメカが全てオシャカになる、昔昔の骨とう品のようなすべて手動式が可、メガネのフレ-ムも鉄の縁であれば耳の皮膚とくっついて凍傷を起す、目ざし帽を用意しろ」等々。

要するに私達小学生のころよく聞いた、寒い満州の人達は冬、小便もウンコも排せつと同時に凍って取れなくなるので、いつもカナ鎚をぶら下げていると聞いて、それを純真無垢な私は高校生ごろまで信じていたが、それに類するほどオドシまくる。「--血圧の高い人、高齢者で持病のある人は行くなと制限しないが、自己責任、お気をつけてどうぞ--」と、可愛げがない。

3つの選択、三方向のうちもっとも寒さが厳しくなくしかも好きな温泉があり、ユ-コン州のホワイトホ-スという処に決めた。米国アラスカ州の近くである。
3日連続して夜10時すぎから翌朝2時ごろまで観測すれば、観られる確率は90%だという。要するに1日だけでは30%余りの確率だ。
 反対に折角手間ひまかけて行き、3日かかっても見られなかった10%の人は、運の悪い人ということになる。
スキ-や冬山登山など他の目的がmeinで、ついでにオ-ロラ観測も・・なら諦めもつくが、オ-ロラだけが目的で酷寒の地に行ってダメとなれば・・・まァそれも仕方ないか、イコイコということになった。

添乗員が付かない安物ツア-だから現地集合。心細い2人旅、バンク-バ-で入国。乗継いで下界は重畳たる氷河と雪の冠ったアラスカを飛び、カナダ・ユ-コン州の州都、ホワイトホ-スの雪で真っ白な空港に無事着いた。

州の人口たった34千人、しかもこのうち、なんとこの町に80%ちかい人が住んでいるらしい。

現地に着いてガイドに合って迎えのバスに乗って、初めて17人の団体と判った。しかも驚いたことに男性は私1人である。けっこう20~30才台の若い女性が半数近くいる。勿論オンナでなくなったような人も混じっていたが・・。昔風にいえば、「より取り見取り女護が島に上陸したような」との形容となるが、当日の女性群、面くいの私の好みからして1人を除いて、ゼニくれても・・・失礼!

空港からバスでホテルに、ガイドはSUGIHALAというコテコテの大阪弁のおニイちゃん(あとで聞くと寝屋川出身とか)諸注意のあと、
「オ-ロラはテレビや映画で観るような、皆さんの頭にイメ-ジしている、あんなキレイで鮮やかなンは、めったにお目にかかれへん、出会えば幸運と思うてほしいわ」と、着いた途端、のっけから失望させるようなことを言う。


--観測初日--

ホテルのロビ-は別口のツア-客(2日前に名古屋から来た70人余)でごった返している。早速、誰彼となく声をかけて、2日間でオ-ロラを見たかと聞く。すると最初の夜、なんと帰りのバスの中で見えだしたので、バスが停まってくれてすばらしいのを観た、ゆうべは全然ダメ、今夜は最後の夜、でも初日に観たので満足、と異口同音。

中に北欧やアラスカに3回も行って1度も見えなかったという、76才の運に見放された剛のおばアさんもいるし、毎年観に行くというマニアもいる。それが全部女性だ。どうも女はヒカリものに惹かれるか?

さて夜の10時半、帽子.フード付き防寒コート.ズボン.靴.手袋、現地の気候に合っう一切をレンタル。身に着けると昔、テレビニユースでよく見た南極観測隊の姿になった。すべて羽毛製で案外、外観に比べ身のこなしが楽だ。そのみの虫のような格好にカメラを抱えて、いざ出陣。

オーロラとは?
 ガイドブックやビデオ説明を要約すると、太陽の表面から常にガスを発しており、それを太陽風といい、陽イオンと電子を含んでいて、そのフレアが何百時間か後に地球に近づくと、南北両極の磁力に吸い寄せられ放電する。これをオーロラと呼ぶんだとさ。
色はほとんど緑泊色、これは酸素原子の発光によるもので、赤いオーロラは稀に見えるらしい。これは太陽風が地球を取巻く酸素原子のアルゴンと接触して高度の地点で発光、時々緑白色と薄茶のヒダが見られるが、これは中性窒素分子による。
形はまず、緑白色の一本の帯から始まり、時間が経つにつれ、この帯が動き初め、動くカーテンを作り、あとは様々に形が変っていき、一度も同じものはない。とまァガイドも、出発まえに聞いたのと似たようなことを喋っているうちに町を離れ、バスは丘陵を登って行く。途中から街灯は全て消している。

着いた処がタッキ-ニという温泉場、レストランが併設され、コ-ヒ-紅茶クッキー等は無料、ただしビールは5$(400円)。
まず温泉に直行。ホテルを出るとき混浴と聞いた。水着を着けているとはいえ混浴。17名中男1人、気恥ずかしさで億劫であったが杞憂に終った。それは我々の集団以外、他のツアー客に男性がいっぱいいるうえ、レストランも含めすべて灯を消して真っ暗闇。50メートル程のでかいプールをだ円形にしたように広い浴場。
空は晴れ渡って満天の星、「降る星の如く」の表現を実感、また星が大きい。大平洋戦争の当時、灯火管制で星以外、灯が消えた時代を思い出した程感激。

さてオーロラ。ガイドが目をこらして空を眺めるがなかなか出ない。オーロラは今夜も機嫌が悪いか。40°の湯はぬるい。
風呂から上がって地ビールを飲む、うまい。当たり前だ、何万年も昔の氷河の溶けた水が原料のビ-ルだから、と言う触込み。 ほんま?
完全武装して外へ出るが、温泉に入ったからか躯がシンから暖まって全然寒くない。それに旅行まえにオドシまくられたが、本日零下10度の寒気は大したことはない。これなら出発前、北海道釧路の-25度のほうが余程ひどい。いずれにしても冷えが厳しくないのが有り難い。

12時を回ったころ、南の稜線がぼう-と浅黄色に少し明るく見えた。ガイドはあれがオ-ロラだと言う。
「ん? なんやショボクレて、もっとどど-んと景気よう出んのか」と腹の中で毒づくが、ガイドはしきりに「今夜は有望」なんて気を持たせる。が、それ以上の変化はない。皆も拍子抜けしてレストランに入る。こちらも続いて、しきりに地ビ-ルで腹を冷やす。そして出たり入ったりしていたが、時計をみるといつの間にか1時半が過ぎている。2時にはバスが迎えに来る。今夜はにぶ-いオ-ロラもどきを見て満足するか、と思った。
ところが2時前頃から浅黄色の火柱のようなオ-ロラが景気よく上がり始めた。あちこち散らばっている見物客がうお-と一斉に感動の声。温泉の中からも聞こえる。

西から南へ虹のように架けるのやら、火柱やら、カ-テンのゆらめきやら賑やかだ。今夜のオ-ロラは誰かさんのように、ヘンコで嫌みな奴ちゃ、帰るころになって出てくるとは。写るかどうか分らないが写真を撮りまくる。

ところでオ-ロラを見ていて奇妙な現象に気が付いた。飛行雲と同じように暫くすると線が崩れる。不思議なのは雲と違って、その一点を見詰めると途端に消えてしまう。しかし線は繋がっている。目の焦点を一ケ所に合す、消える、何度やっても同じだ。
この現象はオ-ロラの粒子が、猛烈な早さで動いているからだという。丁度街の中で見る電工ニユ-スは、文字が連続して流れているように見えるが、実際は電球の1つ1つが点滅しているに過ぎないのと、同じような理屈だそうだ。
迎えのバスが来た。心を残して乗込んだが、運転手とガイドが話し合い、ユ-コン川のほとりの駐車場に途中停車、下車させての観賞サービス。
天空を、山の稜線を自在に乱舞する、すばらしいオ-ロラの狂宴に酔った。とくに左から右へ風に吹かれるように、ゆらゆら移動して行くカーテン状のオ-ロラは感動(imprssion)そのものだ。
しかし感動ばかりでなく、印象的で笑ったのは、虹のように空架けるオ-ロラのその下、墨絵のような山の稜線の上に、舟形の、その船に乗って立ち登る数本のオ-ロラ、ちょうど温泉マ-クのようである。横にいた女房どのに「昔風にいうと、連れ込みホテルのネオンみたいや」と言ったら、雪とオ-ロラの照り返しで明るい夜目に、にやっと笑った顔が写った。
お国を出てから手間ひま掛けて、極北まで来てよかった。ホテルに帰ったら朝の4時まえであった。


--観測2日目--
やはり夜10時半集合、今夜は我々17人の他に別口の男性2人が相乗りしている。昨日と違って静かなものだ。
昨夜(今朝がた)帰り間際に見せてくれた元気ハツラツのオ-ロラで、今日は大変気が軽い。
不思議なもので3日間のうち、初日に見たのと見えなかったのとでは気持のうえで大きな違いだ。一度は見て目的を達したのだからあと2日見えなくてもかまわない、そんな気持になる。これが2日間とも見えなかったりすると、今夜もダメかと自分自身にプレッシャ-がかかって目(肩)に力はいるゼェ。
2日目の夜は全然出ていらっしゃらなかった。飲む以外することもなく、若い女性グル-プにビ-ルおじさんの異名を貰っただけであった。


--観測3日目--
結論からいうと現れた。それも半パじゃない。ガイドが「こんなすばらしい現象は滅多にみられへん」と、うならせるほど。
2001.年初オ-ロラの大売り出し、大バ-ゲンセ-ル、模様替え、店じまいセ-ル、まさか?とにかく大盤振舞い。

おとといの夜ので感激したが、その10倍ほどの乱舞である。それも観測現場に行く途中からの早生れだ。バスの中は賑やか、みな満足そう。

観測所である温泉場に着いた時は既に、飛行雲のようなオ-ロラが山の稜線から天空を架けてクッキリと見える。西も南も東もすべて各々勝手に花火のように立ちのぼっている。初日の夜、くっきり見えた星もオ-ロラの光粒で、ガスがかかったようにぼやけている。カ-テン様のが右から左へゆらめきながら動いて行く。女性のスカ-トのフレア-のようなのが紅い色を付けている、紫に変る。浅黄いろもある。絵書きが刷毛で掃いたようなのもある。
カ-テン状の一番下の部分で地表40kmという。シユ-ルなイラストが表れては消える。壮大な自然が創りだす最高の芸術、パンフにも書いていたが「超絶的な光景」とはうまい表現だ。

極北の空いちめんをキャンバスに、宇宙からやって来た自然という芸術家が、二度と復元されない最高の絵を描き続けている。今夜心の底から自然の超限的な偉大さに魂の震えを覚えた。  来てよかった。


 風変わりな連中

世の中には変わった人たちが居るものだ。もちろん「風変わりな」とは、こちら側からみてそう思うだけで、相手は別に変わっているつもりも意識もないだろうが・・・
先にも書いたが最後の夜、観にいった我々のツア-グル-プと別に群馬県から来たという30才前後の男性二人づれがバスに混じった。
われわれは3夜の見学だが、彼らは昨夜と今夜の2日間だけという。ゆうべはカケラも見えなかったから、最後の今夜に期待しているのだろう。幸い今夜は登っていくバスの中から、既にド派手に現れていたからこの二人、さぞや感激して天向いていると思ったが・・・

皆は大急ぎでそれぞれ用意した防寒具を身につけ、カメラと共に外へ飛び出す。わたしもいったん外にでたが、カメラの三脚を取りにレストランのなかへ引き返した。すると室内のとぼしい明りを頼りになんとこの二人、周りの喧噪をよそに別々のテーブルに座って文庫本を読んでいる。一瞬 ケッタイな連中、と思ったが、こちらはいっときも惜しんで外に飛び出した。

オ-ロラの発光がはじまると観測場周辺の街灯は勿論、周りに点在する民家も明りを全部消して観賞者に協力してくれる。だから外は黒ぐろした木々や建物が発色をくり出す空と対になり夢幻の世界へいざなう。
しかし30分もするとオ-ロラの酔いと疲れを感じ、癒しに思いおもいレストランの中にはいる。すると先程の男二人は、相変わらず同じ場所で同じ姿勢のまま乏しい灯の許で読書に余念がない。他の観賞者も奇異に感じるのか、胡散くさそうにじろじろ眺めて再び出ていく。それからも数回レストランを出入りしたが姿勢を崩さず読書ざんまい、通りすがりにちらと本を覗くと小説のようだ。現地ガイドも「今夜のようなオ-ロラは年に数回程度しか現れないほど素晴らしい」と感動した声音で呟いているのに。
はるばるニッポン国から北極のはてに来て、大自然が織りなすオ-ロラの演出を見ようともしないで・・・とうとう迎えのバスがくるまで読書していた。
 例えは悪いが裸踊りを観るため高い入場料を払い、ストリップ劇場にやってきて、特等席のカブリつきで新聞の株式欄に熱中しているような連中に見えた。

それに帰りのバス、オ-ロラの乱舞を心ゆくまで堪能させるためか、我々の初日の夜のようにまた途中停車し、約20分ほど降ろしてくれた。そのときも皆が空を眺めてそれぞれの感慨を小声で話し合い、名残りを惜しんでいたが。
しかしくだんの二人だけは少し離れた雪の盛り上がったところで小学生のように、しきりにタイ式ボクシングの真似事をしながら奇声を発し、ふざけ合っていた。




テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

海外旅行2

 ゆかいなYさん夫婦 (ユ-ロ圏形成前のはなし)

時間と金は、くさるほど有り、年中世界の旅に明け暮れている老夫婦。
たくまざるユ-モア-、またその言動は常に周りの人達に楽しい笑いを振りまいている。 ご主人75才、奥さん70才くらいか。
Yさんはいつも大型リュックを背負っている。 中に何が入っているのか、飛行機の座席でも背負ったままだ。カメラが趣味らしい、高級機種2台、デジカメビデオを、十文字タスキ掛けにして撮りまくっている。 とても元気だ。
 


 有料トイレのYさん

ロ-マ市内はほとんど有料トイレ。地下鉄の駅へ降りる階段の途中にあるトイレ、入口番をしている女性に料金を払わないでYさん、そのまま駆け込んだ。私も小銭(500リラ・35円)を持っていないが何とかなるだろうと後に続いた。 
用を足したYさん先に出て、日本語で大声で話している。
「金一銭ももってえへんのや、なんか知らんけどカンニンしてや、こんど来たとき払うさかいなぁ」
 まくし立て、とうとう出て行ったらしい。
後で出て行った私、二人分払い4000リラ、つりを貰い階段を登って待っているYさんに「お宅のぶんも払うときました」 言った途端
「そんなもん放っておいて呉れたらエエのに、人がせっかく値切ったのに」
叱られてしまった。
 


  地下鉄券売機の前でY夫婦

1区間1500リラ、奥さん2枚分として5000リラ入れたが出てこない。 あらゆるボタン押すが反応なし。 ぶつぶつ言っていたが、振り向いて後に並んでいた女性に、日本語でそれも変なアクセントをつけて、
「ワタシ、5000リラ、イレタノ、ナンボオシテモデテコナイノ、ドウシタエエデスカ?」 
 外人のよくやる両手を広げたボディアクション。けげんな表情をするばかりのイタリア娘。 
その時、行き先の路線地図を見てきた私の女房が、目的地がオッタビア-ノと言った途端、隣の券売機に寄り掛かっていた御主人のYさん、その同じ娘に
「オッタビア-ノ.オッタビア-ノ.ドコオシタラエエンヤ、シリマヘンカ、オッタビア-ノ・・」を連発。 
 相手の女性は相変わらず、けげんそうに首をかしげるばかり。  
とうとう聞くのをやめたYさん、あきらめ顔で、
「やっぱり通じよらんなあ、おまけに大阪弁やさかいなあ」
ため息をついた。
                                                    
       
  ヘルシンキ空港のY夫婦

時間待ち・・同行ツア-に四国高松から参加の母娘づれ、母親すらりとして細面の美人、ところが娘30才ぐらいか肥満体、Yさんの奥さん、
「お宅の娘さん、ほんまに豊かにぽってりと、よう肥えてますなあ」母親は
「ええまァ・・・」返事に困っている。  そばに居たYさん、
「奥さん細いからお父さん似やね!」 
 見たこともないお父さんを引き合いに出して、まァ。
こんな愉快な人達、そして北海道から沖縄まで全国の人たちとも知り合い親しくなり、一期一会の縁を持てるのも海外への旅とは良いものだ。
    
                          
  片コトの英会話

外国語はさっぱりだめだ。中学生の頃から折にふれ馴染んだはずの英語も、咄嗟に出てこない。おかしなことを喋ると恥ずかしいし、変に誤解を受けたりするといけないと思う気持ちが先にたち、文法もあやふやだから知っていても(?)喋らないに限る、と黙ってしまう標準的.典型的な日本人だ。
しかしものおじせず積極的に単語をならべ用を足している同行者、短いが流暢に話す人をみると、ホンネは羨ましくてならない。それでもたまにはこんな事がある。 
オ-ロラ観測の帰り、カナダ.バンク-バ-のスカイタワ-に登った。
最上階展望室でお茶を飲もうと喫茶コ-ナ-へ行った。彎曲型のテ-ブルの奥で3人の若い店員が接客している。客は現地人4~5人と日本人数人が飲み物を前に窓外の山を眺めていた。
コ-ヒ-を注文したとき年嵩の店員が、日本人か?と聞いた。 そうだ と答えると、日本のどこから来た?と聞く。 大阪から来た と云うと隣の同僚を指さして云った。 「こいつ、大阪で3年居った」
名指しされた兄ちゃん、ニキビ面をニヤッとゆがめたので私も笑いながら、
「ハウ ビジネス?」(How business,もうかりまっか?)
その兄ちゃん、ゆっくりした日本語で、
「ぼちぼちでんな!」 とかえってきた。
とたんに周りの人たちはいっせいに笑った。
たぶん現地の人たちは、「how business?」で。 
側にいた日本人たちは「ボチボチでんな!」に反応したのか?
とにかく暫く笑い声が続いた。
 簡単な片コトでも周りを愉快にすることを体験できた。





テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

海外旅行

 女性グル-プ

老いも若きも女性が多い。 とりわけ50才台を中心にした女だけのグル-プは凄い。 とにかく集団だから、にぎやかなんて生易しい表現では追っつかない。けたたましく騒々しい。 傍若無人で厚かましい。 おんなの中の女、大阪のおばちゃん連中ときた日には周りは悲劇。
なぜ50才台はうるさいのか?  個人差はあるが、総じて40才台はまだ羞恥心の残り香があるし、60才台はエネルギ-の持続力が弱るからか?!
その点50才台は、体力気力とも充実、羞恥心など母親の胎内に置き忘れてきたとイバっているように思える。



 母娘づれ 
 
最近の特長・・・なぜ多くなったか? 母親は日本語以外まるでだめ、従って一人では行動できないので娘をアシスタントにする。  娘は概して30才前後の独身でOLか家事手伝い、そして旅行費用全額、母親もち。 留守番のおやじ、何かにつけて気に病むこともなし。 三者メリット大。


 旅行目的
 
旅を重ねると、同行者と食事どきを機会に、だんだん打ち解けてくる。
「おたく、どちらから?」から始まって・・・
そんななかで、必ず「年に◯回旅行する」と回数を自慢するのがいる。 
このあいだ、年に10回は行く、と言っていた84才と77才の夫婦がいたのには驚いた。 地球のあらゆる処へ行っているらしい。 もちろん北欧、極北から南米の秘境まで、あちらへ行った、こちらへいったと独演会。 最初は興味もあって聞いているが、コンゴからグアテマラまで話が飛ぶと、しらける。
こんな人達の旅行目的は、見聞よりも旅先で回数を自慢するためか。



 お買い物

女性のブランド指向、これはもうほとんどビョウキ。それとまるっきり反対の安価な土産ものにも目がない。 旅行会社も心得たもので、日本語の通じるショップへ頻繁にツア-客を送りこむ。
ロンドンで、先客に商品を買い占められ、後続組が空の棚を悔しそうに眺めている現場に出くわしたことがあった。
またパリのルイ・ヴィトン店で、ケ-スから鞄を勝手に出して警備員にかっぱらいと間違われた日本の御婦人が居たらしい。 対面販売システムを知らなかったらしい。 
      
                       
 写真さつえい 

これはもう日本人は、いつでも何処でも撮りまくる。
ガイドの説明そっちのけ、目的地へ歩く途中や・遺跡・史跡・通行人・立ち入り禁止の区域であろうが、美術館の禁止場所であろうがお構いなし。 それもフラッシュをたくため、よけい目立つ。 旅の恥は撮りすてか!
ところが帰国して、「これどこやったかいのう」と首を傾げている姿が目に浮かぶ。



 治安

どこの国でも現地着と同時に、迎えのバスの中で「日本とちがって治安が良く無いから十分気を付けて」と、口をすっぱくして具体例まで持ち出して注意を受ける。 が、さて...
ロ-マ市内・・・午後自由行動 
「ここで解散しますが本日はタクシ-ストのため◯◯時、この場所にバスが迎えにきます。ぜったい他所へ行ったり時間に遅れないように」 
添乗員は地面を踏んで何回も念を押した。
 集合時間の少し前、男1人をまじえた4~5人の女性の集団が、その場所で待っていると子供を抱いた中年女性がやってきて、案外流暢な日本語で、
「場所が変ったので案内するからついてこい」
といわれ、子供を抱いているのに安心し、その言葉に乗って皆が付いていった。 約5~6分歩き狭い路地に入ったとき、後ろから怪し気な男数人がついてくる。誰かが「おかしい」と言い出し、強引に戻ってきた。 被害は傘をかっぱらわれたとのこと。
「まあ傘1本で済んでよかった」
皆で慰めた。 やっと迎えのバスがきて乗込んだとき、
「あっあの女だ」と騒ぐ車内。窓外を見ると、どこからか再び姿を見せた、くだんの女、大きな声の日本語で
「お気をつけて-」
しきりに手を振っていた。
                              


 中国、広州

 着いた初日、夕食の丸テ-ブルを囲んだとき40才台の男性「スリにやられた」とのこと。 
 ホテルに着いて添乗員にカギを貰い、満員のエレベ-タ-に乗った。 「腹の前のウエストポ-チから7万円」しかも、なん層にも仕切りある中から、お金だけとられたという。
聞いていた正面の温厚そうな初老の男性、思わず自分の尻のポケットに手をやり、
「あれッ、わしもやられてる」 
 みな一斉に「幾ら?」 頭を掻きながら「2~3万かなぁ」 鷹揚な男。
他に当夜エレベ-タ-のなかで被害にあったのは4人、総額14~5万円だったらしい。 この旅行参加費、お1人様2泊3日29、800円。
 





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海外研修アラカルト(1)

 私 高野おうごはプロフィールで、趣味について釣り.盆栽.旅行と自己紹介しましたが、その旅行や釣りの体験談もさることながら、同行者の生態や、大変参考になると感じた見聞.事柄を、年月.順不同に並べてみました。

途中ときどき柔らか味(大好きなエロの隠し味)を効かせ、とりとめも無いヒロウ話をいたします。 おヒマな方はどうぞ。
まずはトラベル(トラブル?)から・・・
 
   海外研修アラカルト          
 研修生 I君・・・ロンドンにて
証券研修生としてロンドンシティへ派遣された。
「男子一たび、郷関を出ずれば、いずこで奇禍に遭うやも知れぬ・・・」
先輩・諸兄のねんごろな忠告を守って、現地に着いてすぐ、近くのドラッグストア-へ衛生品(避妊用コンド-ム)を買いにいった。
「ユ-、ジャパニ-ズ?」 「イエ-ス」 
 店主、ウインクしながら笑顔で2ダ-ス渡してくれた。 アパ-トメントへ帰って早速、開けておどろいた。
出てきたスキンは子供の頭でも入る程の大きさ。 現地イギリス人でも特大とおぼしきサイズ。 “ウ-ンこれはなんだ?”
I君、腕組してしばし沈思黙考・・・推理の結論は、
(店のおやじ、浮世絵のファンで日本人の男のサイズは、あの大きさと思っているに違いない)と。
 さて、帰国しI君、私に「お土産です」と言ってこの推論と共に、新品1ダ-スを寄越した。 そしてニヤニヤしながら
「あのう、もし良かったら封切っていますが、あと1ダ-ス・・」 
「あほ-」  
   
   どろぼうに追い銭
U君、国際部に所属し、なかなか有望な人物、実地経験として1年間のヨ-ロッパ研修に出された。
パリ・・アパ-トの1人住まい。 暫くして、留守中ドロボ-に入られてパスポ-トから靴下まで、すっかり盗られてしまった。
届けはしたが季節は早春、まだ寒さが厳しく一段と気が滅入っていた。
丁度そんな時、N生産性本部K支部主催の視察団に参加した、同じ社の先輩15人がやってきた。 その中でK氏はなかなか人の面倒見がよく、親分肌の男、
「パリに国際部のU君が来ている筈だ、一晩見舞ってやろうよ」
皆に声をかけ押しかけたところ、前述のような始末で、しょんぼりしているU君。  「それは気の毒、オイみんな幾らかカンパしてやろう」とK氏以下同情から目一杯奮発して金を渡してやった。 U君は、地獄に仏と大感激。
善いことをしてやったと、K氏ら一行は次なる都市へと発って行った。
U君は貰った金でテレビ他身の回り品を買い整え、やっと落ち着いた。
一週間ほどのち、彼に男から電話があった。
「私は貴方の部屋へ入ったドロボ-の知人だが、好きな日本人と知らずに入ったらしい、意見をしたら当人、大変反省している。ついては、盗った物はみんな返すと言っているから来てほしい」
と時間.場所を言った。
喜んだU君、いそいそと凱旋門の北門へ。 しかしそれらしき人は来ない。 待つこと4時間余り、諦めてアパ-トへ帰ると、このあいだ再び買い整えた家財道具がすっかり無くなっていた。

  うっかり
T証券取引所○○課次長 42才、頭髪まだら、小柄なタイプ、性温良。
証券研修ツア-に参加。 ロンドン.ケンジントンホテルに泊。
本日パリへ移動の予定。 朝6時までにトランクを廊下に出すことになっていたが、寝過ごした。 
飛び起き大慌て、色柄パンツ一枚だけの姿でトランクと共に、自分もうっかりドア-の外へ出てしまった。
後でバタンと閉る非情な音。 さあ頭の中がまっしろ、それからの行動・・
カギ、カギ、・・とにかく合い鍵をと、パンツ姿のまま廊下を走った。 そしてなんとエレベ-タ-に乗って下へ。  早朝のこと。
(どうか下のフロントに着くまで 誰も乗って来ませんように) 
祈りながらボックスの隅で、後ろ向き中腰になり、背中を丸めていた。 
お祈りに反し、6階で止まった。 
首を回すと、ス-ツケ-スを持ったでかい紳士、最初ア然とし一瞬、躊躇したがそれでも乗ってきた。 4階で再び止まって今度は3人。 そっと首を回し見ると、やはり奇異な動物を見るように眺めたが、やはり乗ってきた。
なにやら4人で二言三言話を交していたが一人が含み笑いした。 だんだん笑い声が大きくなって、下へ着く頃には大笑いの合唱となった。 着くと同時に大男達をすり抜け、裸のままフロアを走ってフロントへ・・・係員に言った。
「キイイン.マイアウト キイイン.マイアウト・・・」
 幸いにも、そのとき同じ研修参加者の一人が、朝の散歩から帰ってきて目撃、自分の背広をうしろから、さっと被せてくれたとのこと。
当日の夜、パリのホテルのロビーでこの話を当人から聞いた私、
「なぜ隣室の人か、同じ階の詰め所に行かなかったのか?」と聞くと、
「頭の中がパニックになり、いまでも自分の行動がわからない」と、情けなそうな顔をした。

   暴力バ-
海外研修ツア-(主催.日本生産性本部)
ヨ-ロパ各国をまわって10日目、パリに着いた一行。
花の都・パリの下セ-ヌは流れる・・・夢にまでみたパリ、そのド真ん中。
その当時1米ドル250円の時代だったがまだ懐も暖かい。 同僚だけで11人、恐いものなし。せっかく来たパリの一夜、歓楽街へ繰り出そう、それイコイコ。
 しかし、しょせん気の小さい連中、「飾り窓のおんな」アバンチュ-ルもままならず、あるビルの地下バ-へ衆を頼んで押しかけた。
 十数人で一杯になるような小さな飲み屋。 
 フランスでは、ビ-ルは肉体労働者の飲み物で、注文すればケイベツされる、なんて偏見を聞かされていたし、ワインの銘柄なんて全然判らない。
戦後トリスバ-やアルサロ(なつかしい言葉)で育った連中、
「カクテル」「おれも・・」「俺も・・」右におなじ式に注文、さわがしく陽気にやっていたとのこと。
さて勘定となったとき、日本円でお一人様13万円ほど請求された。 
びっくりして酔いも醒め果てたが、プロレス級のお兄さん4人に出口を塞がれビビってしまい、金を出し合ってやっと出てきた。
ホテルに帰って添乗員に詰め寄った。 なぜ事前に注意してくれなかった かと!(日本人らしい) すると彼は、
「暴力バ-でもワインなら値段はほぼ判りますので、警察へ届けられますがカクテルのようにブレンドされると、値段は相手の言うなり・・・」とのこと。
くやしく癪にさわるが、どうしようもない身からでたサビ。
そこでこの連中、談合した。 
「帰ってもこの事はぜったい喋らないように、固い男の約束!」
しかし、帰国して3日経ったらどこから漏れたのか私の耳へ・・・そこで一緒に行った一人に真偽を確かめた。
「えッ、誰に聞きました?そんなことまで、 う-ん、実は・・」
1週間の間に社内で知らない者はいなかった。 
                             ‘98 4 




テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

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