應其

高野應其(たかのおうご)のエッセイと小説。

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よねぞうの死40〔第六章〕・夫婦の病難

夫婦の病難


 太一郎はここ10年、軽い風邪をひく程度の健康体であり、最初2~3日もすれば平常に戻るだろうと思っていた。 高熱は3日ほどで平熱に戻ったが、この日を境に その夜からそのまま長く寝込む羽目になる。
躯がだるく気力が衰え、常に何かの不安にかられ軽い鬱状を意識し、何もする気が起こらなくなった。 


秋の半ばを過ぎても心の病状ははかばかしくなかった。
太一郎は30才すぎから盆栽にこり、庭には展示会入賞のある幾鉢かも含めて100鉢以上(特に松柏もの)が並んで、手入れするのが生き甲斐のような毎日であった。 それがあの日を境にどんどん興味が薄れていった。
趣味の愛好者でつくっている会にも出席せず、床に着く日が続いた。 年末には数鉢を残して、手入れの出来ない盆栽を惜し気も無く同好の人々に譲った。中には銘木で数十万円もする鉢もあったが・・・

 年が明けても病状は変らず、息子誠一のツテでK病院で全身の精密検査を受けたが取り立てて異常は無かった。 
誠一は後日病院へ行き、各担当医に会い改めて聞いたが誰もが、原因所見の書きようがない、また精神神経科の医者も首をひねっていた と云う。


それより別に、同時進行で妻のほうにも大変心配ごとが起きていた。

妻華子も太一郎同様、日ごろ医者知らずの健康体で、ここ数年市保健所からの通知の無料検診さえ受けていなかった。 
病院へ夫のつき添いで行ったとき、せっかく来たのだからと誠一や周りの医者に奨められ、循環器系や婦人病の多い箇所の検査を受けた。

その検査の結果が1週間後にもたらされた。

 「右の乳房の裏に異物の疑いあり」との所見。

 あわててもっと精密検査をすることになった。
最初マンモグラフィ-では分らなかったが、ヴェテランの医者の触診と、生検で判った。 癌であった。

幸い華子の癌巣は小さく手術は成功し、いま抗癌剤での治療は続行中で、担当医は大丈夫と云ってくれているが・・


過去十数年、これといった事故事件なく平穏な日々が続いたが、あの水難事故から半年あまり、夫の原因不明の病いはだんだんと悪化しているのが分る。 そのうえ自分までもが、再発の不安を押し殺して生きるつらさが日々さいなむ。 度重なる陰うつな不幸が、いつか夫婦の気を滅入らせ、暗い生活が過ぎて行く。 なにかの祟りだろうか?


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