應其

高野應其(たかのおうご)のエッセイと小説。

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よねぞうの死61〔第八章〕・自由1

いよいよ最終章でございます。

自由1

よねぞうとせいは今度も無事、阿修羅に帰って来た。
約10日あまりの浮世の旅であった。

よねぞうは家に落ち着いて間もなく、せいの気質が変ったことに気がついた。
まず自分が外出する時、以前ならよねぞうが勝手に出ていかないよう、外から二重にカギを掛けていたのが、掛けなくなった。
以前は月数回、会合と云って外出していたのが、今は滅多に出なくなり、自分専用の部屋で終日閉じこもっている。 そして、よねぞうにあれほど細やかな情愛と気配りをしていたのが、やや放埒になった。 それに夜の営みも、以前のような濃密さが無くなり淡白になった、等々。

それはどうやらこの夏の盆の旅に、解がありそうだ。 よねぞうはほっとする反面、やや物足りない気がする日々だ。


数日してよねぞうはせいに、いちど独りで外出してみたい と云った。
こちらに来て2年近くになるが、外に出るときはいつもせいと一緒で、いままで独りで出歩くことは無かった。 そう云った時、せいは何かに気を取られていたのか、暫くして気がつき、それでも簡単に いいわ と云った。
  
翌朝、よねぞうはマンションのエレベ-タ-は使わず、久しぶりに阿修羅道の大地を味わうような気で階段を降りた。 そして左へ曲り大通りへ出た。

さすがに自転車や自動車類は走っていない。 行く宛は無いが、とりあえず足と気のおもむくままに歩こうと思った。 
独りで行動するのは昨年冬、船に乗ってこの阿修羅道に来て以来だ。 外は相変わらずモノクロ-ムで単色の世界だ。 薄墨色の景色は夕暮れのようで、それでも家並は日本の都会とあまり変らない。 

東西南北の感覚がなく分らないので、取りあえず大通りを歩く。 通りはあんがい大勢の人が歩いているが物音がなく、味気ない。
約20分ほど歩いたとき、巾40mほどの小さな川に出た。 木の橋が架かっている。

 対岸に何かの看板が目についた。

橋を渡って看板の文字を見る(6カ国語の並記)。 
その日本文字には、
「この川の上流2Kmにカラ-公園あり、但し選別所でチエックの要あり」と注意書き。 よねぞうは大いに興をそそられ急いだ。 
カラ-? 
色付き公園?

 目的地に着いた。映画館の入口のような開所があり、入園心得書と書いた看板が立っている。 それを見て驚いた。 要旨以下のように書いてある。
 
公園の特長=この公園の入口を入ると、阿修羅のモノクロの世界から人間界のように色のついた世界に変る。 但し入園できるのは、チェックゲ-トをくぐる時、ブザ-の鳴る者のみである。

入園できる者=阿修羅世界に慣れない者(すなわち闘争.ねたみ.さい疑心.嫉妬.執着心等の薄い者、まだそれらの修業の足りない者)のみ。

そしてこの公園の造った動機や目的が書いてある。

(1) 最近阿修羅道に来たが、この世界に慣れない者が増加し、特に単色の世界がなじみにくく鬱の患者が増えた。

(2) その者達や、その可能性のある者をケアする為、人間界の景色を取り入れた公園を造った。

(3) 入場者は入口で資格をチェックする。・・・とある。
 
まあとにかく中に入って見ることだ。 果たして入れる資格があるのか、試すのも一興だ。

入口は欧米系も含め5~6人の係員がいる。 もう50~60人程が列をつくっている。 人種は雑多だ。 よねぞうもその後に並んだ。

チエックは簡単で、空港のゲ-トのような枠を通るとき、ブザ-が鳴るかどうかで選別している。 リピ-タ-が多いのかゲ-トをくぐる連中、べつに緊張した雰囲気ではなく、ブザ-と共に気軽に中へ消えて行く。

初めてのよねぞう、さすがに緊張したが幸いブザ-が鳴った。 

その時心の中で(やはり俺は修羅道には迷いこんだ人間だ)と実感する。

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